2pac (トゥパック)とは一体どんな人物だったのか。
1996年9月魔の凶弾に倒れ、25歳の若さでこの世を去ったトゥパック。
本名、トゥパック・アマル・シャクール。
トリッキーかつユニークなヒップホップ・グループ=デジタル・アンダーグランドの構成員としてヒップホップ界潜入後、91年ソロ・デビュー。以来『ミー・アゲインスト・ザ・ワールド』(95年)、『オール・アイズ・オン・ミー』(96年)といった歴史的ヒップホップの名盤/ミリオンセラーを連発。映画『ジュース』(92年)をはじめ俳優としても活躍、また暴行、レイプ、 投獄というセンセーショナルなゴシップを放ち続け絶大な人気を確立。当時米ヒップホップ界に起こっていた西海岸vs東海岸抗争の矢面に立った彼はその抗争の象徴的な西海岸の犠牲者として死を迎える(東海岸の犠牲者はザ・ノトーリアス・B.I.G.)。死の直後も、獄中で目覚めた『君主論』(政治思想家マキャヴェリ著)に基づくマキャヴェリ名義のアルバムが発表され全米初登場1位、98年暮れに未発表アルバム、99年2月に未発表曲を含むベスト・アルバムがリリース、いずれもが大ヒットを記録。同年末には晩年の”ホーミー”=アウトロウズとの連名で『スティル・アイ・ライズ』をリリース。エミネム、スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレーが惜しみないリスペクトをし続けるなど、いまだその人気は衰えを知らない。
マキャヴェリ期録音をコンパイルした『アンティル・ジ・エンド・オブ・タイム』を01年にリリース、再び初登場全米NO.1という快挙を成し遂げる。そしてその続編的2枚組となる『ベター・デイズ』を02年に発表、全米初登場5位を記録した。デス・ロウ時期の音源のリミックスやベストなど03年に入るもそのリリース・ラッシュは全世界で止まず、ついにはトゥパック自身がナレーションを務めるドキュメンタリー映画が完成、そのサントラ的アルバムとなったのが『レザレクション~ヨミガエリ』。トゥパックに惜しみない賛辞を贈るエミネムが2曲のプロデュースを担当、そのウチの1曲には生前壮絶なビーフ・バトルを繰り返していたザ・ノトーリアス・B.I.G.をフィーチャーした驚愕の楽曲となった。2004年に入るも国内外での2パック作品のリリース、関連の映画などの公開が相次ぎ、日本では前述の『レザレクション~ヨミガエリ』、東西ヒップホップ抗争をビギーとトゥパックの軌跡から迫った映画『ビギー&トゥパック』のDVDなどが発売となり大きな注目が三度集まっているところへの、エミネム全面バックアップによるトゥパック完全蘇生アルバム『ロイヤル・トゥ・ザ・ゲーム』の登場となった。
なおエミネムと名を連ねる本作のエグゼクティブ・プロデューサー、アフェニ・シャクールは、60~70年代を通しアフリカン・アメリカン至上主義を謳った過激な政治活動で知られるブラック・パンサーの元党員で、今現在トゥパックに関する全ての権利を管理するトゥパックの母親である。
2pacは日本でも愛されつづけているラッパーの一人。
2pacが残していった作品を1度でもいいから音楽、映画、写真に触れてほしい。
書籍でも出ている『誰が2PACを殺したか? -殺害事件の真実』はアマゾンプライムでシリーズ化されています。
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彼の写真が見たい方は
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初めて音楽を聴いてみたい!と思った方は以下作品からスタートが非常にわかりやすいです。
トゥパック・グレイテスト・ヒッツ
彼のバックボーンなどは映画、書籍からも感じられますが、何をここまで生き急いでいたのか・・・メッセージの強さと時に人が違うような甘えたリリック。
今でもNO.1は2pac